中朝国境地帯を横断してみた - ②国共内戦の転換点・臨江
※前回の続きです。
国共内戦の転換点 臨江
翌朝、通化駅から再びローカル列車に乗車し、鴨緑江に臨む街・臨江へ向かった。
こちらも昨日の路線に負けず劣らずのどかな風景が続き、中国東北の田舎を象徴するような車窓を満喫した。
臨江の駅を出ると、大量の三輪タクシー・タクシー・ミニバスが客待ちをしている。街の中心部までは少し距離があるようだったが、せっかくなので歩いていくことにした。
駅を出てしばらく歩くと、国境のチェックポイント(口岸)の立派な建物が見えてくる。口岸からは橋が伸びており、鴨緑江を越えた向こう岸には北朝鮮の国土が広がっている。
内陸まで来ただけあり、川幅は丹東よりもかなり狭い。冬季になると凍結した川を渡って脱北する人が出てくるという報道があるが、この辺りで起きていることなのかもしれない。
口岸のある地点からしばらく、川沿いの道を歩く。対岸から、何やら朝鮮語の放送が流れているのが聞こえる。国営放送だろうか。電力事情の逼迫している北朝鮮では、一日に数時間しか電気が来ない場所もあると聞くが、こうして村中に音声を届けているのかもしれない。
北朝鮮側の集落には、大きな建物が学校らしきもの以外ほとんど見当たらないが、中国側は鴨緑江沿いに高層建築の立派な行政施設をドカドカ建てている。また、鴨緑江沿いの中国側農地は接収され、何か大規模な整備事業が行われているようだった。
しばらく歩くと、川沿いにプロパガンダの壁(中国の工事現場によくある)が出現し、鴨緑江への視界が遮られた。この壁の向こう側ではちょうど工事が行われているらしい。
さらに歩いていくと、鴨緑江の中洲に渡る橋があった。中洲は公園になっていて、対岸の村を一望することができた。対岸に近づいていける遊覧船らしきものもあったが、この時期は雪解け水で濁流と化しているためか、運行していなかった。
対岸の集落には農作業をしていると思しき人影がポツポツと見えたほか、数百メートルごとに見張り小屋が設置されており、国境警備兵が鴨緑江を見張っていた。
一方、こちら側には「不法出国禁止」のような看板が立っているくらいで、見張りの人員は全く見当たらなかった。
暇を持て余した中高年が、ベンチに腰掛けて、ラジオを聴きながらただぼーっと対岸を眺めている。国境の公園とは思えない、ゆったりとした時間が流れていた。
しばらく対岸を眺めたあと、街のメインストリートを西へ戻り、バスターミナルで翌日のバス切符を購入した。それからさらに西進し、街外れの小高い丘へ向かった。
神社の鳥居のような威厳ある石門をくぐり、石段を上ると、旧式の兵器がたくさん展示されている広場と、小さな記念館が見えた。
ここは、四保臨江戦役紀念館。日中戦争終結後、ほどなくして国民党と共産党の内戦が再開され、東北地区の共産党軍は一時中朝国境沿いまで追い詰められた。臨江では旧満州共産党軍による防衛戦が四回に渡り展開され、のちに旧満州全土を共産党が掌握するに至る重要な転機となった。この記念館は、その戦いを記録宣伝するための施設というわけだ。
中に入ると、受付には兵士の姿。なるほど、ここは人民解放軍が管理しているのか。入館は無料だが、受付で登記する必要があるようだ。
身分証を呈示してください、と兵士が言うので、恐る恐る日本のパスポートを渡す。兵士は「何故こんな所に日本人が居るんだ」と怪訝な顔をしながらも、中へ通してくれた。こういう愛国教育施設だと日本人を入れてくれないところもあるので、少しホッとした。
中の展示は、国共内戦当時の凄惨な様子を記録した文章・写真と、使われていた兵器類。日本軍から捕獲した兵器も数多く展示されていた。
また、日本の医師・看護師の中には共産党軍に「協力」した人々もおり、戦いの中で命を落とした看護師が「革命烈士」として顕彰されていた。看護師はおそらく、共産党軍により留用された人々であろう。二十歳に満たない看護師も居たという。全く知らなかった国共内戦の一幕に、驚きを禁じ得なかった。
記念館を後にし、メインストリートを東の方へ向かう。
夕飯時が近いためか、中心部の路上では市場が開かれていた。魚介や野菜・肉と、あらゆる食材が売られている。
北京などの大都市ではスーパーが普及しているため、このように生鮮食品を売る路上市場は見る機会が少ない。市場は活気に溢れており、ウインドウショッピングをするだけでも楽しいものだ(ウインドウはないが)。
しばらくぶらついた後、今晩の宿探しを始めた。
中国の田舎へ旅行する際、一番の障壁となるのが宿泊地だ。中国の宿泊施設は、すべての宿泊者の身分証情報を公安のシステムに登録しなければならないのだが、外国人のパスポートの場合、登録手続きが少々面倒らしい。それゆえ、少し大きめ&お値段高めの宿泊施設でないと拒絶されることが多い。
外国人がその宿に泊まれるかは、booking.comなどに英語のレビューがついているかどうかで大体判別できるのだが、辺境都市の場合レビューが少なく信憑性に乏しい。一泊300元(≒5000円)もする四つ星ホテルならほぼ確実だが、もっと安い宿に泊まれればそれに越したことはないので、いくつか回って聞いてみることにした。
二軒ほど断られた後、前調べでは何となく大丈夫そうな三軒目。まずフロントに入り、空室があるかどうか聞く。空きはあると返ってきたので、次に部屋を見せてもらう。シャワーとトイレがついていて、泊まるだけなら悪くない部屋だ。
フロントに戻り、身分証呈示を求められたので、ここではじめてパスポートを出す。最初から外国人だと言うと面倒臭がられて泊めてくれないことが多いので、後出しで言ってみる作戦だ。功を奏したかどうかはわからないが、面倒そうな顔をされながらも何とか泊めてもらえた。
バスターミナルが目と鼻の先のところにある宿なので、今晩は安心して眠れる。
この日宿を探すのが想像以上に苦行だったので、翌日の宿はネットで調べて電話で取っておいた(一軒目で取れたが、やはり面倒臭がられた)。
~次回に続きます~