素敵な墓場で暮すために

筆者の北京留学・中国生活に関することを中心にしようと思っていたら書く気力がわかないまま時間が過ぎていったブログです。

中朝国境地帯を横断してみた - ①中朝国境最大の都市・丹東

はじめに

ここ数年、北朝鮮情勢に関わるニュースがお茶の間を騒がせなかった月はありません。戦争直前の一触即発の事態になったかと思えば、米朝首脳が直接会って融和の機運を醸成してみる。かと思えば、ミサイル発射を再開して相手を威嚇してみる。

北朝鮮当局がなんJ民よりも速いスピードで手のひら返しを繰り返していくさまは最早見慣れた光景といった感がありますが、お茶の間に伝わってくるのはそうした瀬戸際外交の様子がほとんど。我が国の隣に位置しているにもかかわらず、未だに多くの日本国民にとって北朝鮮は謎多き国です。

さて、私が北京へ留学している間、2018年5月の連休に中朝国境地帯を訪問する機会がありました。3月末には金正恩氏が北京を電撃訪問し、2017年までの最悪な半島情勢が嘘のように寛解へ向かい始めた時期です。

2017年なんて「留学が終わる頃には金正恩氏が戦争をおっ始めていて、日本に帰れなくなるかもしれない」と本気で心配していたのに、まさにその金正恩氏がいきなり北京へやってきたのですから、当時北京に滞在していた僕は大変驚嘆したことを覚えています。

そして、せっかく中国の北部に居るのだから、地の利を活かして北朝鮮との国境をこの目で見てみたいと思うようになりました。

もしかしたら、日本人でも北朝鮮の大地へ自由に足を踏み入れられる日がすぐ近くまで来ているのかもしれませんが、現状はまだ「近くて遠い国」。昨年の5月に目にした中朝国境の光景は、(僕が目にしたはじめての陸路国境であったことを差し引いても)なかなかに興味深いものでした。

この記事では、変わりつつある中朝国境の「いま」を少しでもお伝えできればと思います。

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※この記事は、以前コミックアカデミー17の合同誌に寄稿した記事「中朝国境地帯を横断してみた」の内容をもとに加筆修正したものです。

 

中朝国境最大の都市 丹東

北京市中がメーデー連休に沸く5月1日、僕は大学を出て地下鉄に乗り、東北3省からの出稼ぎ労働者でごった返す北京駅へと向かった。17時27分、夜行列車の6人寝台に乗り込み、中朝国境地帯最大の都市・丹東へ向かった。

列車が動き出すと、ほどなくして弁当販売のワゴンが回ってきた。

中国の長距離列車は概ね車内に食堂車がついており、食堂車で高い食事を摂ることもできるが、節約して弁当やカップ麺(中国の列車には熱水器がついている)で済ませてしまう旅客も多い。弁当は食堂車で調理されたてのものが運ばれてくるため、ほかほかと温かい。

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丹東行き夜行列車の車内。

通路際のテーブルで弁当を食べていると、向かいに座った青年が話しかけてきた。

彼は丹東人で、メーデー連休を利用して北京へ遊びに来ていたのだという。北京のどこへ行っていたのかと聞くと、彼は北京・三里屯で開かれていた現代芸術の展覧会を見に行ってきたのだと答えた。

北京の三里屯は、東京で言えば渋谷原宿あたりに該当し、外国人が多数入り浸るバーが軒を連ねるシャレオツな街である。彼はいくつか現代芸術の雑誌を僕に見せてくれた。……さっぱりわからないぞ。脳内に渡部陽一アラビア語講座が映し出される。

「ところで、君は何をしに丹東へ?」
そう丹東人が聞くので、
「国境を見るために行くんだ。丹東の次はもっと北東の方へ行って、国境地帯を見るんだ」
と答えた。丹東人が不思議そうに
「なんで国境なんか見に行くんだい?」
と言うので、
「日本は島国だから国境がない。中国の国境地帯にとても興味があるんだ」
とそれっぽいことを返したら、丹東人は若干引き気味に
「地理専攻の人は考えることが違いますね」
と煽ってきた。オタクは海外でも引かれる。

「北京はダメ。空気は汚いし何より忙しすぎて疲れる。行く度にまぢムリ……ってなる。それに引き換え丹東は田舎だから何もかものんびりしていて良いよ、人もあたたかい」
彼は少しホッとしたような顔でそう言っていた。

中国人の地元愛は強い。都会に出てきて働いている人でも、旧正月になると必ずと言っていいほど帰省する。自分の生まれ育った故郷が、何と言っても一番落ち着く場所なのだろう。

 

一夜明け、列車は丹東に到着した。駅から歩いてすぐのところを鴨緑江が滔々と流れており、一部の列車はこの駅から中朝友誼橋を渡って対岸の北朝鮮新義州へと向かう。

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左が中朝友誼橋、右が鴨緑江断橋。

中朝友誼橋」のすぐ隣には、朝鮮戦争の時に国連軍の爆撃を受け破壊された鴨緑江断橋」があり、入場料を払って見学することができた。遊歩道として整備されている断橋の先端まで行くと、北朝鮮新義州の街を眺めることができた。一部で有名な「動かない観覧車」も見える。

とはいえ、河口近くで標高もないため、新義州の市街地を一望することはできなかった。

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断橋の終端。対岸は新義州

断橋の近くに遊覧船乗り場があったので、これに乗れば少しは市街地も見えるかと思い、乗ってみた。

あいにくその日はどんよりと曇った天気であった上、そこまで向こう岸に近づいてはくれないので、期待していたほどは見えなかった。しかし、新義州側は鴨緑江沿いに低層建築が立ち並んでいたのに対し、丹東側は高層集合住宅がバカスカ立ち並んでおり、中国側が国力の差を対岸に見せびらかしているさまが明瞭に見て取れた。

遊覧船が折り返し地点を過ぎ船内の客が飽き始めると、おばちゃんが「本物の北朝鮮の貨幣だよ!北朝鮮のお金!」と船内販売を始めた。北朝鮮の貨幣は中朝国境土産の定番中の定番で、丹東市内どこでも売っているものだが、船内の客は次々と購入していく。

そんなに高いものでもないので、一セット買ってみた。おばちゃんは本物と言っていたが、購入した紙幣の中には“견본(=見本)”やら“COPY”といった文字が堂々と印刷されている。報道によれば、そもそも北朝鮮ウォンは貨幣価値が非常に低く、北朝鮮国内でも米ドルやユーロ、人民元が流通しているようなので、本物だったとしてそもそも使えないのかもしれないが。

 

遊覧船から下船した後は、路線バスに乗って市街地の南方へ向かった。

丹東市の南方には「丹東新区」という呼称のついた新市街があり、高層住宅や施設が立ち並んでいる。

この地区から対岸に向けて「新中朝友誼橋という道路橋が建設中であり、この橋の開通を見越して開発された街であることは明白。しかし、橋の本体は完成しているものの、北朝鮮側の準備のめどが立たず、また折からの中朝関係悪化もあり、橋は未開通だった。

そのため、丹東新区も現時点ではそこまで賑やかではなく、どこかゴーストタウンのような不気味さえあった。

しかし昨今、朝鮮半島融和ムードの中で丹東がにわかに注目され、丹東の不動産価格は急騰しているという。丹東から平壌、ソウルまでを結ぶ高速鉄道の構想もある。「新中朝友誼橋」が開通に向けて動き出せば、この街の様子も様変わりするのかもしれない。

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丹東新区のとあるバス停で降りてしばらく歩き、和風の外観が目を引く施設へと向かった。ここは「江戸温泉城」。なんと、中朝国境の鴨緑江に面した場所に、某物語をパクったとしか思えないネーミングの日本式スーパー銭湯が開業していたのである。

施設のコンセプトは「一つの温泉・三カ国(日・中・朝)の境界」。周辺の店舗の看板には「江戸超市(スーパー)」「江戸飯店」の文字。これぞまさしく、オタクを惹きつけてやまない限界スポットの風格である。

エントランスに入ると、受付のお姉さんからシステムの説明。入り口でリストバンドをもらい、館内の買い物はリストバンドでして、帰りに精算する方式。システムまで完コピである。脱衣所へ上がり、風呂場へ入ると、広大な大浴場にアカスリ・サウナが完備。岩盤浴まである。割と完成度が高い。違うところと言えば、ところどころに見張りのおっちゃんが居て、なんとなく気まずいくらいだろうか。

一通り中を見て回った後、今回のお目当てである露天風呂へ向かう。

大学の寮にはバスタブがないので、久々の湯船はとても気持ちが良い。眼前に広がるのは紛うことなき鴨緑江、そして対岸には北朝鮮の土地。露天風呂は外から見えないようにすりガラスになっているので、壺湯で中腰にならないと対岸が見えなかったが、湯に浸かりながらの眺めを堪能することができた。

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江戸温泉城から見た対岸。

風呂を上がると畳張りの休憩スペースがあり、ちょっとしたレストランや飲み物を販売するカウンターがあった。もうここが大○戸温泉物語でいいよ。

 

丹東でのスーパー銭湯を満喫した後は、Didi(中国版Uber)で車を呼び、丹東駅へ向かった。

Didiの運ちゃんは大変気さくなおじさんで、僕が日本出身だと知るや、「俺が案内するからもう数日滞在していけ!」と熱心に引き止めてくれた。なるほど、列車の中で丹東人の彼が言っていた通り丹東の人はあたたかい。

列車をもう予約しちゃったんだ、と丁重に断り、礼を言う。すると、「俺が今度日本へ行くときはぜひ案内してくれ!」と、Wechatの連絡先を教えてくれた。「旅先でなにか困ったことがあれば連絡しろよ」と微笑む。丹東、いい街かよ……。

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通化行きローカル線の車内。

丹東駅から山あいを走るローカル線に乗り、通化へ向かう。

このローカル線、一日に一往復しか列車が通らない辺境路線であるにもかかわらず、旅客はそれなりに乗っていた。中国の都市間移動はまだまだ列車が主役である。

ひまわりの種をすごい勢いで食べている隣の旅客を横目に、ぼんやりと車窓を眺めること6時間。通化駅に着いたのは22時前だった。窓口で翌日のきっぷを買った後、駅前の大きなホテルに宿泊した。

 

~次回に続きます~

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